アデレード、オーストラリア--その1 [旅先での・・・(海外)]

日本からはほぼ真下に位置する南半球のオーストラリア、春を迎えつつあるアデレードに行ってきました。人口129万人オーストラリア第5の大都市ですが、「ど田舎」を通り越したような印象でした。ニュージーランドで親しくなった韓国人母子の家にお世話になりました。友人宅は、ターミナル駅がある市街地から電車で30分の「郊外」ですが、すでに自然の真っただ中、徒歩20分のところには国立自然公園もあります。 下の写真はその電車の窓から途中に見えた風景を撮ったものです。 ユーカリの木々に交じり、桃の花が満開でした。 友人宅の庭先には水仙が咲き始めていました。 友人はこの辺りを「山」と呼びたいけれど土地の人々は「丘 hill」と呼ぶそうです。 左の写真、遠くに見えているのは海、そのず~っと先は南極です。

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人がいないと言っても、市街地の中央市場やショッピング通り、ファミレス的な飲食店に入ると、どこからこんなにたくさんの人が出てきたんだ、とびっくりするほど人がたくさんいました。  私の友人も移民組ですが、アデレードは積極的に移民を受け入れてきた街です。中央市場もお国柄で住みわけがあるようで、例えばチーズ屋さんはギリシャからの移民、野菜は中国やベトナムなどのアジア人、パスタは勿論イタリア人。キノコだけの店、オリーブだけの店、というように小さな店がひしめきあっていました。  市場より少しお洒落なお店が並ぶショッピング通りには「sushi king」というチェーン店や、すし中心の日本食屋さんがありました。経営は韓国人か中国人だそうです。友人は「うどん」がおいしかったと、言ってました。

 市場 市場    すしking        

 

 


言えない空気 [草の根的メディエーションのつぼ]

第2次世界大戦中の日本軍「従軍看護婦」をテーマにしたルポを見ました。「憧れの日赤の看護婦になり、鼻高々、人の役に立ちたいと希望に溢れて中国満洲の病院に赴任した」Aさん達。「病院は高い塀で囲まれ完全に隔離され、塀の向こうで中国の人々が悲惨な暮らしを強いられていたことなど知るよしもなかった。」そこでの彼女達の仕事は「看護だけではなく、生体解剖や安楽死の手伝いもあった。 看護の仕事も、壊れた機械を直してまた戦場に送る工場のようだった・・・」とAさんは回想していました。

生体解剖を行った際の状況を語った時に、Aさんから「私たちは言われるままにするだけ。質問は許されなかった。」の発言。そこで質問することは上司や体制に異論がある=立てつくこと、で、露骨に陰惨な制裁、今風に言うなら “苛め”を受けたのです。 “悪いことをしていると認めたくない力のある側”は、“言わせない”ことで、“力の弱い立場にある人々”を縛り、自分を正当化しました。人々は自分が社会に生き残るために、あまんじてその“空気を読む”しかなかった。日本社会では、不幸にも、戦後もその“言わせない”空気を利用して人をコントロールする形が根強く残ってきたので、縦社会の日本では“はっきりさせられない空気=言えない空気”は今だに主流です。

メディエーションでは、いかに当事者さんに公平に“言ってもいい”“言った方がいい”空気を感じてもらうか、が鍵と思います。メディエーションを生業とするメディエーターが“言えない”なら普通の人はもっと言えません。理屈を理解しているだけではなく、自らがメディエーションのコンセプトを実践している、もしくは実践しようとする姿勢のある組織/人が真にメディエーションによる解決ができるのでは、と感じています。      (・・・で、そう言う自分はどうなの・・・う~ん・・・まだ修行が足りないかも)

 


World Wide View in Japan [研究会/学会参加報告]

World Wide View in Japan (PIフォーラム・ランチタイム・セミナー)に参加   発表者:八木絵香さん 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター 

地球温暖化問題について38カ国4000人の市民が討論する、というプロジェクトのお話でした。去年の12月のCOP15デンマークで地球市民の声を伝えようという目論見で発案され、「グローバル民主主義」を目指すもの・・・と解釈しました。参加38国共通の手法(同じスケジュール)、共通の議題(同じ討論テーマと質問)、共通の情報(同じ資料)を徹底し世界で同時に実施したそうです。(詳細はWWVのホームページhttp://wwv-japan/net/をご参照ください。)

 私的に面白いと思ったのは、参加者として「普通の人」を選んだという点です。(日本の場合は共通の条件を満たすよう徹底したけれど、地球的にどうなのかというと、現実、国によっては、特に「普通の人」の人選などはかなりバラつきがあったのでは・・・ということでしたが、)日本は105人。学者や環境問題専門家ではなく、年齢、性別のバランスを心がけ、普通に学生、農家、漁師、主婦などなるべく網羅するように選んだそうです。会場が京都だったこと、旅費と多少の日給が出たから、承諾してもらえた・・・ような集まりだったらしいです。 

セミナー参加者から、(日本のケース)「そんな(問題に関心のない・積極的ではない)人たちを集めて話し合って意味あるの?ないでしょう」みたいな発言がありました。その人は言いたいことだけ言ったらいなくなってしまったので、終了後、個人的に八木さんとお話しました ―特に「力」を持たない「普通の人」も政策や重要な問題に関心を持ち参加することが大事、そしてその「普通の人々」は現場にいて思うことはいっぱいあること、ただ日本社会では大事なことを決める時に「普通の人々」が物を言える場、言ってもいいんだ、と思える場がない、だから、このプロジェクトは決して意味がないものではない―。 八木さんも同じように思っている、ということでした。大学ができる事として「普通の人々」が参加する場をどんどん作って欲しいとお願いしました。

 kmkのメディエーションも究極の目標は同じです。自分の問題としてとらえ、自分でどうするのか決めていく、そのためには「こんなことを言っては恥ずかしい・・・」「~だと思われたら困る・・・」などのプレッシャーを感じることなく、本音を口にしてもいい場=自由に物を言ってもいい場が必要です。言ってもいいんだ、その方がうまく行くんだ、と実感できると、自信につながり、さらに社会に対する自覚と責任につながっていき、本来の民主主義社会に近づいていける、と考えています。 

自由に物を言う:民主主義社会の基本ルールを無視するものではありません。 

民主主義社会の基本ルール:「公正・人権擁護・暴力を許してはいけない」