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カイロからの報告つづき [海外で・・・]

今週日曜日(6日)に届いたEメールから:

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ヘリコプターは時々飛んでいるけれど、戦闘機は飛ばなくなりました。焚き木にしたりバリケードを作るために木がたくさん切り倒されて・・・。自分たちの住んでいる地域は唯一緑が豊かな所なのに・・・。(ナイル川下流のデルタ以外は基本的に砂漠です。)明日は多くの人が仕事にもどるようだけど、タハリール広場のデモ隊はムバラクが出ていくまで動かないでしょう。 
行動範囲が限られているので、私はちょっと退屈しています。家にいる時間が長いので料理にこって、食べて寝てニュースを見て・・・の生活をしています。今はインターネットが繋がってほっとしています。エジプト国外の人と連絡が取れるのは本当にうれしい。
めったに雨など降ることのないカイロで今日は土砂降りの雨でした。12月にも何日か大雨の日がありました。(雨はめったに降らないので)排水システムがないので道路は水浸しでとても寒い一日でした。デモをしている人達は大丈夫かしら。
 
「秘密警察がデモ隊の写真を撮っていた。自分を含めて写真をとられた人達はそのうち“消える”かもね」と(夫の)兄弟が言っていたのを、前回のメールで書くのを忘れました。

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ムバラク大統領は9月の選挙まで居座るとか、9月というとまだ半年もあります。随分たくさんのことができるでしょう。結局、悪意と暴力が勝ってしまうのでしょうか・・・、というか正義のためにどれだけの犠牲を払わなくてはいけないのでしょう。人間であることにめげてしまいそうです。

今日からバレンタイン・バージョンですが、何だか相応しくない記事になりました。ちょっと疲れているのかもしれません。明日は「愛」を語れるよう今日はゆっくり休むことにいたします。


 


カイロからの報告 [海外で・・・]

前の記事に書いた今カイロにいる友人から「9日間遮断されていたインタンーネットが、多分短時間だとは思うけれど、開いたので」と状況報告メールが入りました。以下は彼女の話を要訳したものです。( )の中は私のコメントです。


銀行は完全に閉まっていて、騒ぎが収まるまで開かないでしょう、何故なら、ムバラクが退陣するまで誰も職場に戻ることはないでしょうから。今、workしているのは軍隊だけ。警察は市街地の交通整理以外は見当たらない。

人々が集まっている市街地は食料が無くなっているけれど、うちの近所のローカル・スーパーには十分にあるので困っていない。略奪行為を警戒して、.地域の男性住民は皆交替で徹夜で通りに立っている。2,3のブロック毎にバリケードを作って住民以外の通行人に対して監視している。軍隊もマシンガンや戦車砲で、略奪者が出ないように威嚇射撃をしている。暴徒の類は、捕まえると軍隊に引き渡している。

国中(大袈裟?)の警察所は全部焼き払われ、刑務所は、看守が逃げ出し(囚人が逃げて)空っぽだ。
労働者が職場にいないので国は膨大な損失を出している。スエズ運河では通行料を取る人がいないので船はただで通っているけれど、船は水や必需品を手に入れられない。

戒厳令が出されているけれど、皆、無視している。ただ、「ムバラクは、明日金曜日、24時間の戒厳令を出す、従わない者は撃つように軍隊に命令した」と言われている。 市街地は血の海になるかもしれない。

娘と孫達(アメリカ人)は、アメリカが用意した飛行機でアテネに避難した。(民間人の割り当てが?・・・50席しか無かったそうで、多分、母子が優先されたものと思います。)そこからニューヨークに帰るのだけれど、アテネまで一人400usドル、その先アメリカ行きの飛行機は法外な値段(正規運賃なので?)、どうしよう・・・。


もし、金曜日にムバラクが退陣しなければ、暴徒化する人々が増えるでしょう。私達は、軍隊が彼に退陣を余儀なくさせるのでは、と考えています。エジプトは、国が機能していないことで多額のロスを生じている、もう限界ですから 



エジプトでもチェンジ! [海外で・・・]

 この2,3日、衛星テレビのニュース・チャンネルを点けっ放しです。

前にイギリス人の友達を台湾に訪ねた記事を書きました。 彼女は、去年骨髄移植手術を受けて成功した・・・のかな~、今も、癌持ちとは思えないほど精力的に癌と共存して「活きて」います。で、いつもこの時期の数か月、彼女、曰く、カナダが厳寒の季節は「エジプト人である夫とエジプトの自宅で」過ごしています。「今年は娘達一家もやって来るから、1月の末あたり、あなた達もどう?」と誘ってもらいました。部屋はたくさんあるのだそうで・・・。ついこの間、やっぱり今年も無理と返事を出したばかりです。ひょっとしてひょっとすると、彼女的には最後になるかもしれない・・・なんていう感じもあったのですが、もうちょっと頑張って、と心の中で叫んで返信したのですが・・・。

 
というわけで、エジプトには3年間住みましたし、他人事ではありません。映像を見る限り、私が住んだ30年前とあまり変わっていないようです。人々の心意気というかエネルギーも変わっていないようです。カイロの考古学博物館を若者らが取り囲み略奪から守っている、というニュースにも流石だな~、と懐かしく思いだしています。多くのアラブ圏の国は貧しさ故に、西洋に劣っているとイメージされがちですが、とんでもありません。当時、外回りの仕事は会社のベンツで専属ドライバーがいたのですが、彼は音楽家になる夢を持っていて、トブラーという小さな太鼓を敲かせるとプロ級でした。よれた服を着ていて、学校教育は受けていませんでしたが、とても理知的でした。エジプトで暮らして色々な場面で、イスラム教徒=テロリストとしか結び付けないどこかの大国の人々より遙かに賢く真面目で尊敬に値すると感心したものです。(その当時の話です。)

 話が逸れました。チュニジア、エジプト、とイスラム圏でも「チェンジ」の波が広がりつつあるのですね。10年後世界はどうなっているのでしょう? そして日本は? 草の根メディエーター、ちょっと、めげていたのですが・・・頑張ることにしました。


教室の壁を取る(イギリス) [海外で・・・]

私たち一家が住んだシェフイールドはイギリスでは4番目に大きい都市で、かつては炭鉱があり、その後は鉄産業でで栄えた労働者の街でもあります。鉄産業も衰退し、私達が住んだ頃にはかなり"寂れた感のある街でした。私達の家は少し郊外で、小学2年生になったばかりの子供が通った学校は、緑がいっぱいの広~い敷地があり、普通のイギリスの家を大きくしたような平屋の校舎でした。 敷地には囲いがありませんので自由に入れますが、校舎はブリック作りの重みのある建物で、始めて訪ねた時、日本の学校のイメージしかなかった私達は、どこから入ればいいんだろうと探しまわったほど、開口部(玄関)のない建物でした。 あったのは普通の家のドアと同じで、中が見えず、外からは開けられません。生徒用の出入り口が一つあり、休み時間など生徒が出入りする時だけオープンになります。確かに、あたりは住宅密集地ではなく、緑の広~い広~いグランドを挟んではるか遠くにお隣の中学校が見えるような所です。しっかりしたセキュリティに感心しました。(校舎内から外へ出る非常口は数か所にありました。)

校長と面会し、入学が許可されて、校舎内を案内していただきました。いったん外に出て 生徒用の出入り口から入るとそこはホールのようなところでお昼の給食を取る食堂でもありました。3年生から6年生(7~11歳)4学年で2~3クラスづつくらい(1クラス30人前後)・・・だったような・・・。 全員が入れるようなスペースではありませんので、給食は3つのグループに分けられ交代で取っていました。担任はいますが、授業の先生は科目別でした。授業中でしたがクラスにも案内していただき・・・「お~!」  衝撃でした。 その空間には柱はあるし形もでこぼこですが、しきりとなる壁がありませんでした。4クラスではなく3クラスだったと思います。あっちとこっちとそっちでそれぞれ授業をしていて、まったく差し障りがあるようには見えませんでした。 

好奇心の塊の私は、クラスをゆっくり見学したかったのですが、見なれない部外者がいると生徒が授業に集中できないという理由で、いつでも見学できるものではありませんでした。ところが幸運にもそのクラスの中に入るチャンスがやってきました!折り紙です。 生徒に教えて欲しいと先生から依頼を受けました。とても貴重な経験でした。 まず、一度に教える生徒数は何人くらいが良いですか?と聞かれました。つまり、(希望者)全員を一度には無理、グループに分けますので、ということでした。確かに、多数を相手にすると声も大きくなるし、一人ひとりの対応も疎かになります。で、10人くらいにしたと思います。2グループになりました。日本の折り紙と言えば鶴、それと子供達が遊べるように指人形にしました。机を合わせてテーブルのようにして、緊張することもなく普通に会話しながら子供達1人1人に手ほどきできましたので、みんなそれなりに完成品ができました。 (・・・今振り返ってみて、“自由に折ってもらう”も入れると良かったかな~・・・)   

1グループがしている間、もう一つのグループの子供達はあっちの方で何か他のことをしていました。 というふうにオープン空間ですので、見えるのですが、だからとい言ってうるさくもないし、気にもならない。目の前の人やすぐ隣の人に話すわけですから、自分も生徒達も声を潜めるわけでもなく張り上げるでもなく普通でした。かえって自然に他者を意識して、余計な力が入らなかったのかもしれません。  いかがでしょう? 学校関係の方、保護者の方、学校の教室の壁を取る・・・。


逆効果?NZでの経験 [海外で・・・]

知ってましたか? アメリカのお客様相談窓口などの電話のオペレーション・センターは実はインドとかにあり、オペレーターは客に気づかれないように徹底的なアメリカ英語教育を受けている、というドキュメンタリーを見ました。ふ~ん、なるほどね、と感心したものです。 

ある時、日本で、某銀行の支店に開いた自分の口座について知りたいことがあり、その支店に電話をすると、話の内容がかなりプライベートな内容だったこともあり、オペレーターさんは答えられなくて、種あかしをしてくれたのです。「こちらは・・明石なので・・・」と。 びっくりしました。いつも行く支店の人だとばかり思って話していましたから。日本でもそうだったんですね・・・。

 

NZでのこと、うちの電話とインターネットのプロバイダーは日本でいうならNTTにあたる企業xtraでした。当初はまだ独占企業でした。NZは移民政策をとり、観光立国だし、外国からの留学生はビック・ビジネスでもあるので、わけのわからない外国人の取り扱いに慣れているようでした。人口の少ないNZではサービス・カウンターがなく、サービス・センター(電話)とのやり取りになります。電話の向こうのお兄さん達はとても親切で、ただでさえもITに弱い私で、全て英語で説明なのだから難儀したけれど、根気よく手取り足取り風に教えてくれて何とか開通できました。(余談ですが、電話での英会話が一番難しい。お兄さんも頑張ったけれど、私もよく頑張った・・・私は良くわかっていないのに根切れして「わかりました」と言って切っては日を改めて何度も電話しました。)

で、その経験から感じたことは、相手が一本の電話線を通して、私のコンピューターを共有していたということです。私が使っているのと同レベルで相手は私のコンピューターの全てを知ることができるのかも、ということ、つまり、個人情報なんかも相手がその気になれば全部知ることができる・・・のではないかという恐怖。 暫くして、そのxtraのサービス・センターの方から電話がきました。何がしかの安全を保障するサービスに入っているのだけれど、それだけでは十分ではない、もっと安全性を高めるための▽○×セキュリティ・サービスに入いりませんか、という勧誘の電話でした。 NZのxtraは競争相手がいなかったこともあり、色々な点で評判が良ろしくありませんでした 。誰かが勝手に人の番号を利用してネット国際電話をかけ、覚えのない高額な利用料を払わされる話をよく聞きました。 う~ん、どうしよう・・・迷いましたが契約せずに切りました。 その後も2,3度しつこく勧誘の電話があって、ある時、オペレーターは一生懸命、いかに安全ではないかを私に説明するのですけれど、途中で私が彼女の英語のなまりに気づいたことで、実は彼女はフィリピンからかけていることがわかりました。 彼女は、自分の友達も被害にあったとか何とか、さらにエスカレートしていきます。 聴けば聴くほど私は、そんなに不安全な会社と契約しているのか・・・と別のところで心配になっていくわけです。 私が「パソコンでどういう手順を取れば良いのかよくわからないし・・・」と言うと、「私が全部変わって手続きしますから大丈夫・・・」と言われて、私は迷うことなくはっきりお断りしました。 フィリピンは決して治安が良い印象ではありません。オペレーターは安全保障サービスに勧誘しようと一生懸命脅かすのですが、私は別の意味で怖くなって、なるべく関わり合いになりたくない、と思う、何だかおかしな体験でした。 
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